カテゴリー「産業遺産」の9件の記事

2012年10月28日 (日)

10月7日 TANtanまつり

先月の流れで産業遺産のイベントから始まった10月。

行き先は「住友赤平炭鉱」があった赤平市。

ダイヤの関係で始発で行かねばならんということで、一緒に行ってくれる人はおらず今月のイベントでは唯一のソロ活動。

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手前が乗ってきた旭川行き普通列車。

滝川で乗り換えて、根室線で赤平へ。

 

到着は8時すぎ。

まつりが始まるのは10時。

ということで、向かったのが「山平菓子店」

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昔ながらの菓子パンを置いていて、コッペパンにクリームをサンドしたものはとても懐かしい気持ちになった。

カメラを首から下げていたので、「どこから来られたの?」と店主(奥さん)から声をかけてもらい、「TANtanまつりに来たんです」と話しているうちに店主(ご主人)が出てきて、話はカメラから昆虫、炭鉱があった当時の話しまで広がって、そうしているうちにお茶まで出してもらってのんびりしてしまった。

気づけばまつりが始まる時間。

パンを食べながら会場へ移動。

 

10時からのプログラムは「立坑櫓内公開(ガイド付き)」。

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ちゃんとヘルメットも装備して櫓内へ入っていく。

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ここは廃墟ではなくて「稼働していないだけ」の施設といった趣き。

時間が止まったまま保存されているような感じ。

立坑櫓の内部が保存されていること自体希少だし、そこを定期的に公開してガイド(元炭鉱マン)もしてもらえる場所は他にはない特長だと思う。

これは保存しようという人たちの熱意があってこそだと思うし、元炭鉱マンが語ることで重みがあるイベントだと思った。

 

午後のプログラムまで時間があったので、立坑櫓を眺めることができる草原で昼食。

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坑口浴場と自走枠工場も特別に公開されていたので、見に行ってみることに。

 

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ここも時間が止まったような空間だった。

 

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自走枠工場のすごいところはエアーを入れれば動かせる状態で保存されていること。

しっかりメンテナンスされていて、レバーなどは簡単に動く。

一部の機械には実際にエアーが入れられていて動いているところも見せてもらった。

ここもまた保存に対する熱意を感じられる場所だった。

 

午後からのプログラムは「坑口巡り」。

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これも元炭鉱マンによるガイドがついて、山の中に入っていく。

全部で11箇所。

もちろんすべて蓋がされているものの、「坑口」をわかる状態で残っている。

住友赤平炭鉱自体が1994年まで操業していたこともあり、こうした遺構は比較的綺麗に保存されている。

幌内景観公園のような手入れの行き届いた状態ではないものの、見て回るには十分な状態だったと思う。

 

夜は立坑櫓のライトアップというプログラムも残っていたけれど、ちょっと体力の限界・・・

坑口巡りを終えて、駅へ向かっているとTANtanまつりのスタッフさんに声をかけられた。

「駅まで乗って行きますか?」

ちょっと体が重くなっていたので、とても助かった。

共通の知人がいることもわかったので、名刺交換をさせてもらい駅で降ろしてもらい帰路に。

 

この日の車中では行きも帰りもほとんど記憶がなく、寝てばかりだった。

ちょっと体力的にキツかったらしい。

それでも普段見ることのできない場所やモノに出会い、貴重な話を聞かせてくれる人たちに出会うことのできた旅だった。

2012年9月30日 (日)

ぷらぷら幌内

7月に来たときに「ここを見るにはもっと時間がいるはず」と思って、スルーした幌内炭鉱景観公園。

ガイド付きだとはいえ、2時間半もかかるとは思っていなかった・・・

もちろん不満というわけではなく、思ったよりもずっと広かったという意味で。

 

炭鉱遺産の中でもその全体像が残っている場所は日本中でもここだけらしい。

坑口→捲揚室→輸車路→石炭ポケット→選炭場→シックナー(沈殿池)→ズリ山

他にも変電所、神社、隧道、トロッコ、安全灯庫も見ることができる。

 

ガイドは地元の保存会の人。

他にも幌内炭鉱の元炭鉱マンがいていろんな話を聞くことができた。

当時の話や写真を見ながら説明してくれるので、なんとか想像力で補完しながら見ることができた。

この公園、何がすごいって手入れが丁寧。

歩くところは広くて、足元に気を使うような場所はほとんどない。

多くのものはコンクリートの構造だけが残っている状態なので、土台だけという場所が多い。

その周りも草刈りがされていてとても見やすかった。

 

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この地図だとそんなに広いようには思わないんだけど・・・

  

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常盤坑坑口(手前の錆びたパイプは坑内のガスを抜くために設置されている)

 

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捲揚室跡

 

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捲揚室跡から坑口を見るとこんな感じ

 

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選炭場跡

 

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石炭ポケットの下(特別に入れてもらえた)

 

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起動機(クレーン)の土台

ここの周りを見た時に手入れの丁寧さを感じた。

 

もうひとつ特別に入れてもらえたのが変電所。

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当時から時間を止めたままの内部。

平成元年9月29日に閉山したので、この巡回板の11月というのは昭和のはず。

 

この公園のすぐ近くには三笠鉄道記念館(旧幌内駅)があり、そこから伸びるレールを見ることもできる。

幌内線が開通してから130周年という節目にこの場を訪ねることができたのは嬉しかった。

 

地元の人が地道に保存活動をしていることも知ることができたし、元炭鉱マンからも当時の話しを聞くことができた。

ものすごい情報量だったけど、知らないよりも知っていた方がずっといい。

誰かを連れてきたときにも役に立つと思う。

北海道の近代化の始まりの地を知っておくことは移住者である自分が知っておくべきことだと思う。

奔別アートプロジェクト

炭鉱遺産を使って表現しようというプロジェクト。

単純に「炭鉱遺産を見に来てください」ではどうしても関係者ばかりになってしまったりして、関わる人の数と多様性に欠ける。

そこで同じような問題を抱えるアート関係の人たちと協働してプロジェクトを進めるカタチになった。

・・・と、勝手に想像している。

 

人によっては「そのままがいいのに」という声が出てきそうではある。

特に「廃墟マニア」の人たちはそう思っているかもしれない。

でも炭鉱遺産や産業遺産と呼ばれるものを保存するために声を上げるのも、行動するのも時間的に限界のはず。

建物が崩れ始め、当時を知っている人たちがいなくなる時が近い。

そのためにもまずは「その存在を知ってもらうこと」から始めていくしかない。

 

より多くの人に現物を見てもらうことで何かを感じ取ってもらうことができるはず。

これを残していくべきか、否か。

鉄道好きの一人として、北海道に住む人として、保存に動いている人たちの応援をしていきたいと思う。

 

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奔別炭鉱立坑櫓を後ろから

 

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奔別炭鉱ホッパー(中央には仮設の階段が取り付けられ2階を見ることができた)

 

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ホッパーの出口(石炭を満載にしたトロッコが列をなしていたはず)

 

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特別に入ることができたホッパー2階(窓の奥には立坑櫓が見える)

 

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ホッパー内部から(この穴からトロッコへ石炭を落としていた)

 

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ホッパーから落ちてくる石炭の音を擬音化したもの

 

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ホッパーが増築されたときにできた柱の構造の違いを表現したもの

 

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とても抽象的な作品だけど、ガイドしてくれた学生さんの説明でよくわかった

様々な色をした色はエネルギー源をイメージし、その中に本物の石炭が混じっている。

多くの選択肢があるエネルギー源から下にある蛍光灯へエネルギーを供給するのはどれか? 少し風刺も入っているようなアート。

 

学生さんたち以外にもプロのアーティストも作品を出している奔別アートプロジェクト。

炭鉱遺産というものをテーマにいろんな視点で見せてくれたアートはそれ自体も十分に見る価値があると思う。

きっと自分よりも若い人たちが頑張って想像力を働かせて作った作品たち。

ホッパーそのものも十分に魅力的だったけど、いろんな人たちが関わっている場所には大きな力を感じることができる。

2012年7月16日 (月)

7月16日 産業遺産巡り

友達からレンタカーを借りてドライブに行こうと言われたときにすぐ思いついたのが今回のコース。

岩見沢~三笠~芦別~赤平 と回って産業遺産を見て回る。

鉄道や歴史、そして廃墟に興味がないとまったく面白くもなんともないマニアックな内容だけど、それに楽しんでついてきてくれた友達とおとんに感謝。

 

とりあえず今日行ったところ

岩見沢駅~クロフォード公園~三笠鉄道村~北炭幌内炭鉱発電所~北炭幌内炭鉱立坑櫓~旧幌内線唐松駅~弥生地区炭住~住友奔別立坑櫓~桂沢湖~三井芦別鉄道炭山川橋梁~道の駅スタープラザ芦別&北の京芦別~住友赤平炭鉱立坑櫓~悲別ロマン座~旧上砂川駅~三井砂川炭鉱立坑櫓~炭鉱の記憶マネジメントセンター

こうやって書くと1日でよく回ったな と・・・

 

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何度か岩見沢駅を使っていたのに、ちゃんと見ていなかった・・・

外壁に使われているレール一本一本に製造年やメーカー名が刻まれている。

年代も古いし、海外製と思われるものもかなりあった。

 

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旧幌内線幌内太駅の駅舎をそのまま公園として保存してあった。

車両は少ないものの、十分な雰囲気。

駅舎の中はおみやげ屋ではなくカラマツトレイン!

鉄道グッズが一杯あってついつい買いたくなる衝動を抑えて硬券2枚だけにしておいた。

 

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三笠鉄道村の先は砂利道で一気に雰囲気が変わる。

自然に飲み込まれる人工物たち

その姿を見るだけでも価値があると思う

 

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これは立坑櫓の近くには行けず、遠目から眺めていたもののその存在感は十分。

 

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旧幌内線唐松駅。

とてもよく手入れがされていて、現役の駅舎よりも綺麗かもしれない。

廃線になった後も駅舎が残っていること自体貴重なことなのに、保存状態も抜群にいいというのは素晴らしいと思う。

 

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さすが東洋一 といった風格が漂う姿に言葉をなくしてしまった。

道路からも見えるマチのシンボル(誇り)だったと思う。

 

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今日の目的地はここ と決めていた場所。

三井芦別鉄道の炭山川橋梁には当時の機関車と炭車がそのまま静態保存されている。

今にも動き出しそうなその姿はやはり見ておいてよかった。

車両の後ろではメンテナンスをする人の姿も。

 

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一番近くに寄れる立坑櫓。

住友赤平炭鉱立坑櫓はその当時ネオンの光る不夜城だったそうな。

昨日、一昨日と内部を見ることができるイベントがあったらしいけど、タイミングが合わず残念!

 

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ちょうどタイムリーだったので寄ってみた。

今、「明日、悲別で」が舞台として道内・東北各地を巡業している。

この舞台の元になったのが、1984年にテレビドラマとして放映された「昨日、悲別で」。

そのロケ地として使われた建物がこれ。

建物の中では写真家のおじさんが自分で木を焼いて作った額に写真を入れて展示の準備をしていた。

ネイチャーフォトが中心だったので盛り上がり、フクロウのポストカードももらってしまい恐縮しつつここを後にする。

 

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「昨日、悲別で」に出てくる悲別駅(国鉄上砂川駅)から見た三井砂川炭鉱立坑櫓。

この立坑櫓は閉山後に無重力実験に使われて第二の人生を歩んだ。

現在は閉鎖されているが、2003年まで使われていただけあって、外見もまだまだ綺麗。

 

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産業遺産巡りの最後は「炭鉱の記憶マネジメントセンター」。

写真はセンターが入っている札幌軟石の蔵に掲げられている屋号。

センターではこの蔵も含めていろいろと説明してもらい、炭鉱関係のリーフレットを(特におとんが)もらってきた。

やはり情報が集約されている場所があるのは大事だと思う。

発信する側もそこに渡しておけばひとまず安心だし、来館した人も今後の情報やまったく新しい情報も手に入ったりする。

 

「知っている」から「見に行ったことがある」に変わった産業遺産たち。

北海道の鉄道を掘り下げていくと必ず炭鉱にぶつかる。

その炭鉱のことを少し知ることで、知っていることにつながりが増えて知的欲求が満たされる。

2012年7月14日 (土)

清水沢ズリ山バスツアー

先週の土曜日は夏らしく暑かった。

日差しが強くてあっという間に日焼けしたというのに、今日は肌寒い。

おかげで寝冷えしてしまった・・・

 

新しい仕事を覚えることで頭をかなり使っているらしく、仕事が終わってから文章を書こうという気持ちになれなかった。

今日は久しぶりに長時間睡眠をとってリフレッシュ。

ようやく先週の記事をアップできる。

 

 

タイトルの通りバスツアーなのだが、参加費は無料。

働く代わりにバス代・銭湯代・昼食代を無料にしてくれる嬉しい企画。

こういう仕掛けで札幌から人の流れができるのも面白い。

 

8:30出発→10:30清水沢到着→作業開始!

枕木を担いでズリ山を登る。

完全に息は切れているが見晴らしがいいので、登ってきた甲斐がある。

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炭鉱住宅が整然とならんでいるのを「機能美だよなぁ」と思いながらもう1往復。

 

枕木を数本入れたあとは親子で来ていた参加者のお子さんと一緒に石炭探し。

ふたりで黒光りする石を見つけては喜んでいた。

そんなことをしているうちにお昼。

近くの集会所で地元の人が中心になってカレーを作ってくれていた。

たっぷり汗をかいたあとは特に美味い!

おばちゃんの「余ってるから食べて」という声に負けて3皿食べたので満腹。

 

午後は自分たちでつけた階段を登ってズリ山の頂上に行く。

ここでいろいろと解説を受けて移動。

 

東洋一とも言われた、旧清水沢火力発電所

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中に入るとこんな図面があった。

今はほとんどが取り壊されているが、内部を見ることができるのはとても貴重な体験だった。

 

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大正14年のクレーンが残っていたり。

 

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階段に施された意匠に当時のこだわりを感じたり。

 

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時が止まったような空間があったり。

 

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窓の外にはまだ発電を続ける水力発電用のダム(清水沢ダム)があったりもした。

 

この空間にいるだけでいろいろなものが伝わってくる。

とても抽象的な表現だけど、すごい勢いで国が戦後復興してその中心的な産業だった石炭に携わった人たちのエネルギーみたいなものが建物に残っているような感じがした。

建物自体は廃墟同然のような状態なのに、発しているものは強いエネルギー。

そんなギャップを感じる場所だった。

 

旧清水沢火力発電所をあとにして炭鉱住宅の銭湯で汗を流す。

銭湯なのに同じサイズの浴槽が2つ。

話によると女湯の方が広いらしい。

男性は基本的に坑口浴場に入ってくるので、炭鉱住宅の銭湯を利用するのはもっぱら女性と子どもたちとのこと。

 

滞在時間はそんなに長くなかったけど、十分な非日常体験。

帰りのバスは学生さんたちも含めてみんな爆睡。

もう少し地元の人と交流できるといいんだけど、それは宿泊するくらい長い滞在時間がないと難しいだろうなぁ・・・

でもこういう仕掛けはとても良いと思うので、都合が合えばまた参加したいと思う。

2012年6月 6日 (水)

手稲鉱山の遺構

手稲鉱山はかつて金銀銅を産出するヤマだったそうな。

その面影は「金山」という地名に残っている。

 

星置川で砂金が採れたのが始まりで、金鉱脈が発見されたものの安定した産出はできず、鉱業権は転々としながらも三菱鉱業が買い取ったあたりで産出量のピークを迎える。

このころ、従業員も増えて鉱山周辺に集落を作るようになり、約1200戸が作られた。

時は昭和16年(1941年)の頃・・・

 

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現在に残るのは傾斜地に作られた石垣。

その上に建物の基礎らしきものとかまどのようなもの。

乙女の滝へ行く途中にも人工物がいくつか残っていたが、自然へ還っていく途中だった。

 

手稲鉱山が閉山したのは昭和46年(1971年)。

昭和42年(1967年)に札幌市と手稲村が合併したのをきっかけに閉山へと向かっていく。

 

閉山はしたものの、平成5年(1993年)には渡辺鉱、平成13年(2001年)にはリシェルスドルフ石といった鉱石が見つかっている。

 

【参考:手稲区HP http://www.city.sapporo.jp/teine/tthanashi/honbun/hanashi15.html

【参考:Wikipedia 手稲鉱山 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E7%A8%B2%E5%B1%B1#.E6.89.8B.E7.A8.B2.E9.89.B1.E5.B1.B1

2011年12月11日 (日)

三菱大夕張鉄道 旭沢橋梁

1929年(昭和4年)に大夕張鉄道が路線の延長をしたときに架橋されたのがこの橋。

 

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この橋を撮影したのは国道452号線なのだが、夕張シューパロダムの完成を前に付け替え道路へ切り替えられ、こうやって車で近くにくることはできなくなる。

 

ということで、雪でササも寝ていることだし、近くまで行くことにした。

 

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最後の写真は機関車の先っちょにカメラを置いたような感じかな。

後ろに重たい石炭車と客車を牽引しながら、この細い橋を何度も渡ったんだろうな。

 

雪が靴の中に入って冷たかったけど、橋のそばまで行って写真に残すことができたのは嬉しかった。

これもたぶん見納めになるアングルだろうな。
  

 

下夕張森林鉄道夕張岳線 第一橋梁

1958年(昭和33年)に完成したこの橋が持つ独特の姿。

 

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三弦橋と呼ばれるこの橋はその名の通り、断面が三角形になっている。

鉄道橋としてはドイツにあるものと夕張にあるものだけが現存しているらしい。

 

その橋が夕張シューパロダムの完成とともに水没することになっている。

湛水を前に付け替え道路が完成し、12月16日には今回撮影した場所(大夕張ダム管理事務所)には行けなくなる。

 

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シューパロダムインフォメーション内の素敵なジオラマによると、青い線のところまで水没するらしい。

満水時の水位だから渇水期(冬季?)には違うアングルで三弦橋を見ることができるかもしれないが、いずれにしても遠くなるはずだ。

 

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ダム堤体を後ろから見た姿。

これはこれで珍しい一枚かもしれない。

堤体にブルーシートを貼っているのは「保温」のためらしい。

コンクリートは固まるときに熱を発するのだが、その際に極端に低い外気温にさらされるとクラック(割れ目)が入ってしまうので、断熱材を挟んで温度変化を防いでいるとのこと。

 

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旭沢橋梁に行って、今の道路と付け替え道路が合流するところまで行って折り返してくると、三弦橋が雪化粧をしていた。

 

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赤く錆びた鉄骨に白いライン。

背景に消え入りそうな橋の姿にコントラストを与えてくれて、遠くからでもその姿がよく見えた。

天気は悪かったけれど、こんなご褒美がもらえるならむしろ大歓迎だ。

 

 

ここに森林鉄道が走っていたころは夕張岳に登る人の便乗も許されたらしい。

夕張岳の固有種を見にいくついでに森林鉄道にも乗れるならこれほど自分の趣味を満たすこともないだろう。

旭岳のように散策路と植生をしっかり区別しておけば、それだけで登山客を呼び込む観光資源になり得たんじゃないかと思ってしまうが、ときすでに遅し・・・

 

これからは糠平湖のタウシュベツ橋梁のような遺産として見守っていくしかないのかもしれないけど、沈む前にこの橋を見に行くことができてよかった。

 

 




2011年12月 1日 (木)

アルテピアッツァ美唄 写真展

初めての訪問となる「アルテピアッツァ美唄」。

札幌市内のいろんなところに彫刻を展示している『安田侃』の作品が展示されているところでもあり、美唄市立栄小学校の廃校利用をしている施設でもある。

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今回は廃校利用のギャラリーで「荻原義弘」氏の写真展が行われているということで、訪ねることになった。

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木造校舎はとても趣があって、落ち着く。

木のぬくもりというのは雪の北海道にあっても伝わってくる(実際は寒いけれど・・・)。

 

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校舎内にも安田侃の彫刻が展示されている。

 

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天井は梁が見えるようになっていて、木造校舎の造りを見ることができる。

ボルトナットは使っているものの、木の柱の組み合わせというのはなんとも見応えがある。

 

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木枠のガラス窓から校舎を望む。

どこを切り取っても絵になるからカメラが好きな人にはここだけでも楽しめるかも。

 

 

で、本題の写真展は撮影者自らガイドをしてくれて、展示の意図や展示方法についても解説してくれた。

さらには日本中30年に渡る取材を通して得た情報も惜しげもなく教えてくれた。

中でも自分が関心を持ったのは、沖縄の炭鉱。

西表島「宇多良炭坑」 

近代化産業遺産にも指定されて、木道の整備もされているらしい。

 

自分にとって炭鉱というのは山深いところにあるものだと思い込んでいたから、島嶼や海の近くにある炭鉱遺跡の写真を見るたびに驚くばかりだった。

良く考えてみれば、石炭は植物化石みたいなものだから、どこにあってもおかしくないのだが・・・

 

そういう意味ではとても勉強になる時間だった。

やはり現場に足を運んでいる人の撮った写真と解説は力がある。

 

 

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